Home>  TotalPages53 next

別の視点を求める

2009.07.04 Sat

何年も・・・5年近くも精神医学、心理学という視点から自分を眺めてきた。
辛いこともあったにしろ、それはそれで興味深いものだったと思う。
それまで覗いたこともない深い世界だ。

様々な人との出会いと別れを体験し、豊かな時間を過ごす。
そういう意味からはこれまでの人生の出来事と変わりがない。

それでも、最近時々強烈に思うのだ。
そろそろ別の視点を持ちたい。

例えば歴史の中の1人の人間として。
生物―とりわけ女という生物の1つとして。
今生きてあることの意味を問うてみたいと思う。

人格障害も解離性障害も、1つの方向から見ただけの私。
イコールではない。

開く傷口

2009.07.03 Fri

古本屋で町沢先生の文庫本を見つけて少し立ち読みした。
太宰治のことに触れて、自分の内から湧いてくる孤独感の壮絶さについて書かれていた。
治療は安心できる保護者的な人との出会いと「育てなおし」とも・・・。

言えてる、と強く思いながら、胸に痛みが走り解離。
何度もそういうこと読んでていい加減免疫ついてもよさそうなのにダメなのか?

改めてこの障害の根の深さを思い知る。
癒えたように感じていた傷は、些細なキッカケで簡単にパックリと口を開き、血を流す。

「病者の私」との別れ

2009.07.02 Thu

前に進もうとする私とそのまま止どまろうとする私のせめぎあいに押されて
思わず立ち止まってしまうことがある。

これが「病者との別れ」というものなんだろうかと思ったりする。

時に真剣に言い分を聞き、時に気を逸らせることを提案し・・・。
まるで子供に対する母親のように、「病者の私」に向き合っている。

少しは上手くなっただろうか?

解決できること出来ないこと

2009.07.01 Wed

若い頃からずっと感じていた「一筋縄ではいかない」という感触。
あるいは「一匹の獰猛なトラを飼ってるようだ」という感じ。
その正体はBPDだったのだと納得している。
一生その付き合い方の工夫ということになるのだろうと腹を括った。

すべてがすべて「解決できる」わけではなく、中には「未解決なまま」になるものもあるが、そのまま、スッキリしないまま生きていく。
そういう考え方そのものが二極化しやすいBPDの人にとっては訓練である。


1人の私として

2009.06.30 Tue

私の中に声がしても、それはもう「別人格」などではない。
私自身である。
それが分かっている以上、前のような形での「心の対話」は不可能と考え、非公開ブログで別人格ごとに分けていたカテゴリーをすべて消した。
そのことに不満があれば激しい抗議が湧きおこっていたところだが、一晩経っても何も起こらない。

記憶が「私は」という一人称で語れるくらい私の統合は進んでいるのだ。
誰かに語らせる必要はなくなった。
つまりどんなことも「私という1人の人間が体験したことの歴史」として受け止めていく覚悟ができたのである。
たとえそれが目を背けたくなるような事実だったとしても、私の生きてきた中で起こった、あるいは私がしてしまったことの一部なのだ。

解離性障害を発症してから4年。
ようやく終焉に向かっているのを実感している。

従来のDID治療の方法に則らなくて統合出来たということは、「解離性同一性障害とは言えない」という結論を導き出すことになるのだろうか?
私に限らず、多くの人達が「DIDのそっくりさん」なのではないだろうか?


それでも、1人の人間の記憶が「あの子」や「この子」に語ってもらわなくては想起できない状態は、かなり特殊な状態であったと思う。
さらに「多重人格状態」以外に現れた多種多様な不思議な症状は明らかに「解離性障害」というものだったとしか言いようがないだろう。

ここまで来て、ようやく「私がDIDかDDNOSか?」という問題の決着がついた。
私は特定不能の解離性障害(DDNOS)だったのだ。